ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会の活動報告(2023年1月〜12月)

ミャンマーの医療を支援する会  

活動報告(2023年1月〜12月)

 

2020年初めからの新型コロナウイルス感染拡大と2021年2月の軍によるクーデターによって訪緬は困難でしたが、9月24日から3年半ぶりにミャンマーを訪れました。ビザなしからビザの必要な渡航になり、東京-ヤンゴンの直行便はなくなってバンコク経由です。新潟ロータリークラブの徳永昭輝先生とご一緒でした。

 

図1.医薬品の箱を積み上げての贈呈式(左から筆者、院長、徳永先生、ヤデナ医師)

 

9月25日にサンピュア病院で新潟ロータリークラブから医薬品が贈呈されました(図1)。市民抵抗運動で職場を去る職員が相次ぎ、800人から300人に激減していました。入院患者も外来患者も激減し、病院はがらんとしていました。聞こえるのは「人も物資も足りない、お金もない」という切実な声でした。

9月26日にヤンゴン第二医科大学を訪問。研究室には十数年前に私の研究室から運んだ古いPCR機器も置いてあります。驚いたことにそれらの機器が今も活躍していました。病理診断に必須の免疫染色用抗体45種(ニチレイバイオサイエンス社提供)を渡しました(図2)。

ミャンマーでは抗体は非常に高価で入手困難です。抗体の活用についてチン教授が免疫染色の部厚い報告書を見せてくれました。ミャンマーで限られた抗体を用いてこれだけやっていることは特筆に価します。抗体を運び始めてから10数年、間違いなくミャンマーに免疫染色が定着し、ここがそのセンターになっています。救いがたいミャンマーの医療の中で一筋の光を見た思いでした。医学書9冊を贈呈し(図3)、私は病理診断の講演をしました。

 

図2 第二医科大学病理に抗体の供与。

 

図3 医学書の贈呈。

9月27日には第一医科大学に抗体を供与し、医療崩壊に近いミャンマーの医療を支え続ける決意を胸に帰国しました。

 

内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

活動報告(2022年1月〜12月)

昨年2月の軍によるクーデターによる政変によってミャンマー社会の混迷が続いています。加えて新型コロナウイルスの感染拡大によって訪緬も困難でしたが、最近出入国の制限が緩和されて、ミャンマーへの渡航も可能になりつつあります。9月と12月に新潟大学ミャンマー感染症プロジェクトの先生に依頼して、パートナーのヤデナ医師に支援金を届けていただきました。

  

 

写真 入院食用の炊飯器(特注品:約10万円)。右は内部構造。

そのお金でヤデナ医師はヤンゴン市内のサンピュア病院(公立病院)の300人用炊飯器(写真)と米を購入しました。クーデター以降、政府から病院に対する入院食の補助はなくなったとのことです。もともと貧弱なミャンマーの医療は崩壊に近い状況のようです。
まだまだミャンマー情勢の改善は見通せませんが、現地と連絡を取って支援活動を継続していきたいと思っています。


ミャンマーの医療を支援する会   内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

活動報告(2021年1月〜12月)

新型コロナウイルスの感染拡大に加えて今年2月の軍によるクーデターによる政変によってミャンマー社会は激変してしまいました。市民の軍に対する抵抗運動、国際線や金融システムの停止によって社会の混乱が続いています。訪緬どころか、いかなる形の支援活動も困難です。メールで連絡を取り、ミャンマーのパートナーの無事は確認しましたが、コロナ感染で両親を失った方もおられます。

 

写真1 医薬品を準備するヤデナ医師と仲間(2021.6.28)。

 

 

写真2 僧侶の子どもを診察するヤデナ医師。

 

 

市民抵抗運動に加わる医療従事者も少なくありません。ミャンマーの医療は厳しい状況にあり、医療資源が圧倒的に不足しています。その中でヤデナ医師は医薬品をかき集め、コロナ対策を含めて必死に診療活動を行っています(写真1,2)。何とかしてあげたいのですが、お金も物資も送れません。これまでの活動の中で最大の危機です。

現時点でミャンマー情勢を見通すことはできませんが、現地と連絡を取って事態沈静後の活動準備をしていきたいと思っています。

 

ミャンマーの医療を支援する会   内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

活動報告(2020年1月〜12月)

1月に新潟大学感染症プロジェクトの先生方、新潟ロータリークラブの徳永先生とヤンゴンを訪れました。私にとって20年目、30回目の訪緬です。1年前に寄贈した超音波装置がサンピュア病院で活躍していることを確認しました(写真1)。ヤンゴン第二医科大学では私の20周年記念に講演させてもらいました。大学の感染症プロジェクトの5年目の式典にも参加して充実した気持ちで帰国しました。

 

写真1  サンピュア病院で超音波装置が稼動していることを確認。


 

ところが帰国後中国の武漢で発生した新型コロナウイルスの感染が世界中に拡大しました。ミャンマーもヤンゴンを中心に感染者が8月から急増してロックダウンが行われ、サッカー場にコロナ病棟が建設されるなど、対策に追われています。国際線が停止しているため、訪緬は延期せざるを得なくなりました。今回は支援活動が困難ですが、メールやズームで連絡を取っています。日本も厳しい状況の中、私はミャンマーでの感染症研究の経験をもとに新潟医療センターでPCRを担当しています。
 

写真2 新潟日報文化賞の賞状とトロフィー。

図らずも10月に私の「福島県原発事故被災地支援活動とミャンマーの医療支援活動」に対して新潟日報文化賞(社会活動部門)が授与されました(写真2)。コロナ禍の活動制限された時期に受賞したことは励みになります。事態が落ち着いてからの活動をしっかり考えていきたいと思っています。

 

ミャンマーの医療を支援する会   内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2020年1月〜6月)

今回は私のミャンマー活動20周年で30回目の訪問です。1月9日にヤンゴン第二医科大学で記念講演を行いました。150人定員の会場は満席(写真1)。補助椅子が運びこまれていました。学長は挨拶の中で私の支援活動を具体的に説明し、激賞してくれました。私はこれまでの活動を簡単に説明してから、病理診断における免疫染色の重要性について自分の経験症例を用いて説明し、注意点と精度管理の要点を示しました。皆、真剣に聞いていました。活発な質疑応答が続きました(写真2)。第一医科大学病理のイン名誉教授には、2000年に第一医科大学で免疫染色の実習以降抗体を運んでくれたお陰でミャンマーに免疫染色が定着したとお礼を言われました。講演後真っ赤なバラの花束をいただきました(写真3)。イン教授からは「先生は私より若いのだから、これからさらに10年、20年とミャンマーのために活動を続けてください」と激励されました。
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写真1 会場には聴衆が一杯
 
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写真2 講演後の質疑応答

      
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写真3 花束をいただいた筆者(中央)。
 
講演後、抗体を各施設(第一医科大学、第二医科大学、国立衛生研究所、サンピュア病院、ヤンキン小児病院)に贈呈しました(写真4)。マンダレー医科大学には直接渡せませんでしたが、帰国後新潟大学病理に留学したパパ先生が取りに来たと写真付きで連絡がありました。第二医科大学には病理の教科書を2冊進呈しました。これを節目として、これからもミャンマーの医学・医療の向上のため支援を継続していきます。
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写真4 抗体の供与。
 
 
ミャンマーの医療を支援する会代表  内藤 眞

 

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ミャンマーの医療を支援する会

「黄金のパゴダII〜ミャンマーの医療支援二十年の記録」内藤眞

 

 

 

 

新潟日報事業社1,600円+税
「おわり」で、内藤先生は、「これからも自分に何ができるかを考えながら教え子たちとの連携の中でミャンマーの医療のために活動を続けていきたい。」と述べられています。
また、支援団体等として、「にいがたNGOネットワーク」をリストアップしていただきました。
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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2019年7月〜12月)

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2019年7月〜12月)
ミャンマーの医療を支援する会代表 内藤 眞
私は2000年に初めてミャンマーを訪れ、それを契機に留学生の教え子をパートナーとしてミャンマーの医療支援を続けてきました。来年、私のミャンマー活動は20周年を迎えます。2020年1月にヤンゴン第二医科大学で記念講演をすることになりました。また、新潟大学はミャンマー感染症研究拠点を設立して5年目の記念式典と研究成果報告会を1月11日にヤンゴンで開催することになりました(図1)。新潟大学からは学長、医学部長も参加します。式典のプログラムによりますと、ミャンマー保健大臣、学長、研究責任者に続いて、私と私の教え子のヤデナ医師、チン教授、チーダ教授も20年間の交流とその成果について話すことになっています。式典のタイトルは「新潟大学とミャンマー保健省との連携協力20周年記念―5年間の研究成果報告」であり、私の始めた活動が両国の感染症プロジェクトの基礎になったことを評価していただいたものと思っています。現地で多くの知人に会えることを楽しみに、大学や病院に提供する試薬や抗体の準備に追われています。
 

写真1 記念式典のポスター。筆者の写真(左端)も掲載されている。
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ミャンマーの医療を支援する会

活動報告(2019年1月〜6月)

29回目の訪緬は新潟ロータリークラブの徳永昭輝先生はじめ4人と一緒です。私は3年前に新潟ロータリークラブでミャンマー支援活動について講演しました。その際、新潟ロータリークラブの海外医療支援プロジェクトに協力してくれという要請がありました。20163月にサンピュア病院を訪れて要望を聞いたところ、超音波検査装置を熱望されました。新潟ロータリークラブはヤンゴンの母子保健改善のために超音波検査装置を寄贈するプロジェクトを企画し、徳永先生と私は昨年一緒にヤンゴンを訪れてサンピュア病院はじめ3病院でミャンマーの産科医療の実態を視察しました。プロジェクトが本部に承認され、昨年末に装置がサンピュア病院に納入されました。それで贈呈式を行うことになったのです。

 

 

1 贈呈式:院長、徳永先生、ヤンゴンロータリークラブ会長。 図2 超音波検査の実習

 

1月25日にサンピュア病院で贈呈式がとり行われました(1)。パートナーのヤンゴンロータリークラブも出席しました。午後は徳永先生のセミナーと本多先生による実習が行われました。実習は新しく建設されたばかりの病棟1階に設置された超音波検査室で行われました。あまり広くない部屋に30人の実習希望者が集まったので、入りきれないほどでした。妊婦検診の超音波検査が始まり、胎児の画像が鮮明に映し出されたのは印象的でした(2)。この装置はこれから大活躍することでしょう。

 

3 ヤンゴン第二医科大学へ抗体と顕微鏡ランプの寄贈。  図4 教科書の贈呈。

 

贈呈式の翌日は土曜日であり、日曜日には帰国するので各大学や研究所を直接訪ねることができません。教え子のメイ医師が私の持参した抗体を各大学、病院に届けてくれました(3)。こうして私の任務も遂行できました。教授に昇進したティン先生には血液学の教科書を贈呈しました(4)

来年は私にとって20年目、30回目の訪緬になります。何か記念になることをしたいと思っています。

 

ミャンマーの医療を支援する会   内藤 眞

 

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2018年7月〜12月)

期間内の訪緬はありませんでしたが、年末にヤンゴン第二医科大学の学長・教官が来新しました。ヤンゴンには第一と第二の2つの医科大学があり、ヤンゴン第二医科大学には2004年に初めて訪問しました(図1)。2007年には第二医科大学のDr. ThynDr. Thidaが新潟大学医学部の私の研究室に留学して2ヶ月間集中して研究を行い(図2)、帰国後学位をとることができました。その後も交流が続き、私が退職した2013年には大学間協定が締結されました。私は毎回第二医科大学を訪問(図3)していますが、今回は5年目の協定更新のため学長、Dr. Thidaをはじめ6名が来日したのです(図4)。Dr. Thida11年ぶりの新潟に印象深い様子でした。

図1 教科書や抗体を供与(2004年10月)

 

図2 Dr. Thyn(左)とDr. Thida(右)

 

 

図3 第二医科大学にて。前列中央が学長。筆者は右隣(2017年3月8日)

 

図4 第二医科大学、新潟大学のメンバーと筆者(左端)(2018年12月25日)

 

 

 今年は本学の学生が第二医科大学を訪れ、ミャンマーの医学生と交流しました。医学教育担当教授となったDr. Thidaは親身になって本学学生たちの世話をしてくれました。また、Dr. Thynは最近マグウェー医科大学の教授になりました。教え子たちが次々に教授となり、交流が深まるのは嬉しい限りです。1月に訪緬予定ですが、教授就任祝いをしたいと思っています。

 

 

ミャンマーの医療を支援する会代表 内藤 眞

 

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2018年1月〜6月)

2月初旬に18年目、28回目の訪緬。新潟ロータリークラブの徳永昭輝会長、新潟医療センター病理主任技師長谷川秀浩氏と3人です。いつもの支援に加えてミャンマーの母子保健を視察しました。

 

図1 ウィン先生に抗体供与         

 

図2 修理されたミクロトーム

 

  サンピュア病院の病理に抗体を届けました(図1)。これから免疫染色を始めたいとウイン先生が希望したので、抗体1セットと染色法マニュアルを渡しました。以前ミクロトームを寄付しましたが、手動ハンドルの動きを伝えるゴムバンドが切れて使用不能になりました。私は部品を郵送しましたが、修理されたミクロトームを見て安心しました(図2)。ミャンマーでは機器の管理・修理がまったく不備で、ちょっとしたことで使えなくなるのです。

 

図3 病院の渡り廊下で生活する患者の家族  

 

図4 新生児救急室

 

第二医科大学病院では渡り廊下に多くの患者の家族が寝起きしていました(図3)。ミャンマーでは病院食がないので、家族が面倒をみなければなりません。遠くの人は病院のあちこちに寝泊まりします。産婦人科を視察しました。分娩室には5つの分娩台があり、病室は妊産婦で満床、廊下にまでベッドがありました。この病院の出産数は年間8000から9000です。日本と比べ桁違いに多いのです。

 

最後にヤンキン小児病院に行きました(図4)。新生児救急室では沢山の小さな赤ちゃんが保育器に入れられていました。体重1kg程の弱々しく、細々とした新生児は声をあげません。哺乳できないため、口からチューブを入れられている新生児もいました。ここには他の病院から治療を必要とする新生児が送られてきます。ここの新生児死亡率は10%だとのことです。母子保健はミャンマー医療の大きな問題です。今回の視察に基づいて新潟ロータリークラブは医療支援を考えるとのことです。うまくいくことを期待し、お手伝いをしたいと思います。

 

ミャンマーの医療を支援する会代表 内藤 眞

 

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2017年7月〜12月)

 ミャンマーでは例年通り6月中旬からインフルエンザシーズンが始まりましたが、7月中旬にヤンゴンを中心にA型インフルエンザ(A/H1N1pdm)の大流行が発生しました。死者も出た事から色々な噂がSNSを通じて広まり、人々がパニック状態に陥りました。WHOはこのウイルスは単なる季節性インフルエンザで、病原性が強くなったわけではないとの見解を出し、政府も不安解消に努めました。しかし、ヤンゴンではマスクが店から姿を消し、連日死者数が報道されました。本会は7月末にサンピュア病院などにマスク4000枚を郵送し、8月初旬にはタミフル100人分を新潟大学ミャンマープロジェクトの渡部久実教授に届けてもらいました(写真1)。支援物資としては少量ですが、早く対応できたのはよかったと思います。まもなく、社会不安は解消しました。

 

写真1 サンピュア病院長(左)にタミフルの寄贈。

 

 5月から7月にかけてヤンゴン第二医科大学のメイ(May Ei Aung)先生が来日し、私の勤務する新潟医療センターで病理学の研究をしました(図2)。持参した検体について大量の免疫染色とPCRを行い(図3)、短期間で成果をあげて帰国しました。私は10年前からヤンゴン第二医科大学に20台の顕微鏡を届けたのですが、ランプが切れて使用できない状況になっていることを彼女から聞きました。古い顕微鏡なので、ミャンマーではそれに合うランプを入手できないとのことです。日本国内ではまだ販売していますので、持ち帰ってもらいました。支援後の情報をきちんと得てフォローアップすることが大事であることを学びました。12月になってメイ先生から学位申請が終わり、合格したと電話が来ました。あまりの早さに驚きましたが、おめでたいことです。来年早々にヤンゴンに行く予定ですが、その時お祝いできるのが楽しみです。

 

写真2 新潟医療センターでのメイ先生(左端) 写真3 研究に没頭するメイ先生

 

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2017年1月〜6月)

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2017年1月〜6月)
3月5日から新潟大学感染症プロジェクト一行とヤンゴンを訪問しました。プロジェクトとは別に私は3施設へ免疫染色用抗体を提供し、サンピュア病院と支援の協議をしました。
ヤンゴン第1医科大学の病理では供与した抗体のお陰で研究ができたという女医さんからお礼を言われました。10年間、ニチレイバイオサイエンスの協力を得て42種類の抗体を提供してきました。ミャンマーではなかなか入手できず、皆苦労しています。
図1 ヤンゴン第1医科大学病理に抗体供与。
サンピュア病院では病棟に患者があふれ、廊下にまでベッドが並べられていました。500床の病院ですが、常に700人以上入院しています。ベッドサイドで菊池先生とヤデナ先生はレントゲン写真を検討しました(図2)。「こんなに病状が進んでからでないと患者さんは来ないのですよ」。肺癌の患者でした。
図2 レントゲン読影する菊地先生。
  院長と今後の医療支援について協議しました。超音波検査機が希望でした。今使っている機器は10年以上前の機種で解像度が悪く、しかも2台中1台が故障とのことで、なるべく早く話を詰めることになりました。
金属製の箱を運んでいる女性にヤデナ先生が声をかけると、女性は箱を開けて魚肉と鶏肉の入ったカレーを見せました(図3)。これはヤデナ先生が貧しい患者のために提供している食事でした。「内藤先生の寄付も時々この食事になります」。病院食の出ない病院。ミャンマーの変わらぬ現実です。
図3 ヤデナ先生から患者へ病院食の寄付。
第2医科大学とヤンゴン小児病院とに抗体供与して今回の活動は終りました(図4)。これからも支えて行かなければと思いながら帰国しました。
図4 第二医科大学中央研究所に抗体供与。
内藤 眞
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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2016年7月〜12月)

 私どもはミャンマーの医療支援と並行してインフルエンザの調査研究をミャンマーのパートナーと共同で行ってきた。私の定年後の2015年に新潟大学とミャンマーの感染症研究プロジェクトが感染症研究国際展開戦略プログラムに採択され、2016年3月にヤンゴンに新潟大学ミャンマー感染症研究拠点ができた。11月2日には新潟大学医学部で「第1回日本・ミャンマー合同シンポジウム」が開催された(写真1)。ミャンマーから4名の共同研究者が参加し、支援活動のキーパーソンのヤデナ医師も来日した。シンポジウムでは研究成果が多数発表され、盛会だった。ヤデナ医師は私の最初の訪緬の写真を出して、新潟とミャンマーの16年の歴史を話した(写真2)。小さな医療支援から新潟大学の感染症プロジェクトに至ったのはヤデナ医師の献身的努力に負うところが大きい。ヤデナ医師はわれわれの支援に感謝の意を表したが、感謝しなければならないのはわれわれの方であると思っている。
写真1 シンポジウム会場の筆者(中央)とヤデナ医師(右)。  
写真2 発表するヤデナ医師
私は2016年後半には訪緬する機会がなかったので、支援金を直接ヤデナ医師に渡した。ヤデナ医師からは前回の支援金の使途を示す酸素ボンベや生検針など消耗品の領収書を受け取った。それを見るとミャンマーの医療状況にまだ改善の様子はないと思われた。ヤデナ医師の病院は半年前に増築工事が行われていたが、予算がなくなり、設備を入れる見通しがまだ立たないという。次回は、病院の状況をよく見てこようと思っている。
内藤 眞
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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2016年1月〜6月)

2016年3月15日に新潟大学ミャンマー感染症研究拠点開所式がヤンゴン市内のホテルで挙行された。医療サービス局のMyint Han局長の挨拶とプロジェクト開始宣言、国立衛生研究所の Hay Htay Tin所長、文科省生川審議官、日本大使館松尾参事官の挨拶が続き、日本医療研究開発機構の宮村先生は日本の国際感染症研究の現状と目的を説明した。牛木学部長の挨拶の後、私は2000年から16年間のミャンマーでの活動を紹介し、ヤデナ医師の来日と帰国後の交流、支援、共同研究の歩みを示した。感染症研究プロジェクトが始まるのは留学生だった2人のミャンマー人医師がパートナーとして活躍してくれたお陰である。午後は国立衛生研究所とその中にできた新潟大学研究拠点を視察した(図1)。研究所にはすでにパスツール研究所や韓国の研究施設が入っている。われわれは10年以上早く共同研究を開始したのに、拠点形成では遅れをとった。ここは国際協力とともに、国際競争の場である。
図1.国立衛生研究所前で日本関係者
翌日からいつもの支援活動。ヤデナ医師には新潟医療センターの小林勲先生から頂いたぶ厚い2冊の内科の教科書を手渡した(図1)。第二医科大学には顕微鏡をはじめ、いろいろな研究機器を届けてきた。今回も免疫染色用の抗体と顕微鏡レンズを持参した(図3)。次にヤンゴン総合病院の病理にも抗体を供与した。ここでは2004年に寄贈した写真撮影装置付きのディスカッション顕微鏡が活躍している (図4)。「この顕微鏡をいただいてから4人目の教授の私も活用させていただいています。これからもよろしくお願いします」とMyint Myint Nyein教授。中古の顕微鏡でも十分に役立つが、これだけ利用度が高いなら、新品を届けたのは正解だった。
図2.教科書を手に嬉しそうなヤデナ医師  
図3.第二医科大学に抗体を供与
図4.ヤンゴン総合病院に以前供与した顕微鏡
    
内藤 眞
ミャンマーの医療を支援する会
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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会

「 ミャンマーの医療を支援する会」は新潟大学に留学したミャンマー人医師を 2000 年から支援してきました。そのミャンマーを 2008 年 5 月 2 日にサイクロンが直撃しました。強風と高潮によって、イラワジ川流域に 13 万人を超える死者・不明者と 200 万人の被災者を生じた未曾有の大災害でした。支援のため、 6 − 7 月に私どもは 新潟 NGO ネットワークの街頭募金活動に加わりました。一方、ヤンゴンの市民ボランティアに依頼し、被災地へ 600 世帯分の支援品(米 100 俵( 5 トン)、 鍋 270 個、ローソク 300 箱、たまねぎ 300 キロ、ジャガイモ 250 キロ、食用油 200 リットル) を届けてもらいました。
8 月 8 日にはヤンゴンを訪れ、屋根が吹き飛ばされたサンピュア病院に新潟大学の募金を贈呈してきました。さらに、 にいがたNGO ネットワークの救援金の一部で食料品をチャイクレ村に届けました。被災地からは新潟の皆さんへ感謝の言葉が寄せられました。ご協力いただきました皆様に御礼申し上げます。


ミャンマーの医療を支援する会
〒951-8122
新潟市旭町通1-757
Tel:025-227-2103
Faxl:025-227-0761
Email
 
活動の一部は
 ミャンマープロジェクト
 http://www.med.niigata-u.ac.jp/idm/ 
で紹介しております。

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2015年7月〜12月)

2015年7月末、サイクロン・コメンがミャンマー西側のラカイン州、チン州、サガイン地域、マグウェー地域で大洪水を引き起こし、被害は14州にも拡大する大規模災害となった。国内外からの支援活動が行われたが、広域であることから支援の手は行き渡らず、多くの被災者が今も苦しんでいる。ヤデナ医師をはじめ、ミャンマーの医療関係者も支援活動を続けている。
2008年のサイクロン被災時と同様、被災地の感染症は大きな問題となっている。本会としては薬品と見舞金を届けることにした。ヤデナ医師には抗生物質と見舞金1000ドルを届けた。さらに渡部久実教授が10月12日にネピドーの保健省へ打ち合わせに行った際、抗生物質と見舞金2000ドルを副大臣に届けてもらった(図1)。
 
 今年から新潟大学のミャンマー感染症研究プロジェクトがスタートし、ヤンゴンのミャンマー国立衛生研究所(図2)に新潟大学研究拠点を準備中である。私がミャンマーの医療支援を始めてから15年経つが、支援と平行してミャンマーのパートナーと行ってきたインフルエンザの共同研究が評価され、日本のアジア・アフリカ感染症研究ネットワーク・ミャンマー拠点に採択された。2016年3月には研究拠点の開所式がヤンゴンでとり行なわれる。
 
ミャンマーでは11月8日に総選挙が実施されてスーチーさんの率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、来春にも政権が交代して民主化のさらなる進展が期待されている。ミャンマーの医療も改善されることを願うが、最近ヤデナ医師から私が受賞した「米百俵賞」の副賞を気管支鏡の修理にあてさせてもらったとメールがあった。活況に湧くミャンマー。しかし、医療にまで経済発展の光が届くまで、どの位時間がかかるのだろうか。

図1 保健省で薬剤と見舞金を寄贈する渡部先生(ミャンマープロジェクト拠点長)(左)
 
  
図2 国立衛生研究所前で(右端:ヤデナ医師、右から2人目:筆者) 
 
                   内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会〜活動報告(2015年1月〜6月)

3月4日から6日まで、24回目の訪緬。ヤンゴン市内は高層ビルの建設ラッシュ。外国からの来訪者が飛躍的に多くなったので、ホテルの宿泊料は4倍に跳ね上がり、不動産バブルである。
 
まず、ジャンボテニススクールから寄付されたテニスウエアをスポーツ省ミャンマーテニス協会に寄贈した。
 
第二医科大学へは新潟大学医学部から払い下げてもらったPCRと分光光度計を持参。さらにニチレイバイオサイエンスから提供された抗体を渡した(図1)。
 
 サンピュア病院のヤデナ医師の病棟には酸素ボンベが沢山置いてあった(図2)。以前、酸素濃縮機を寄付したが、停電の多いミャンマーではあまり役にたたないので、酸素ボンベに切り替えたという。病院の経費でまかないきれないが、幸い現地のNPOが酸素ボンベの支援してくれているという。

図1 抗体と機器の寄贈         



図2 病棟の酸素ボンベ       


図3 顕微鏡の組立          


図4 気管支鏡供与
 
5月19日から23日まで25回目の訪緬。新たなミャンマープロジェクトの協議のため、7名で訪緬。顕微鏡や気管支鏡など、多量の機材を運んだ。
第二医科大学で培養細胞観察用1台と通常の顕微鏡2台を組み立てた(図3)。病理と生化学の教科書も持参した。ヤンゴン第一医科大学の病理にも抗体を供与した。
サンピュア病院ではヤデナ医師に新潟医療センターから供与された気管支鏡と光源装置を渡した(図4)。
経済活況に湧くミャンマー。しかし、病院や大学の中は何も変わらないのが現状で、これまでと変わらぬ支援が必要とされている。
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ミャンマーの医療を支援する会

ミャンマーの医療を支援する会活動報告(2014年7月-12月)

年に2回(1月と7月)に発行しているにいがたNGOネットワーク(Nネット)会報に、会員団体ミャンマーの医療を支援する会の内藤眞先生より、活動報告が届きました。

ミャンマーの医療を支援する会活動報告(2014年7月-12月)
 2014年7月6日から4日間、来年から始まる国立6大学による「ミャンマーの医学教育協力JICAプロジェクト」のための現地調査団として、岡山大学、長崎大学、新潟大学、およびJICAの担当者10名がミャンマーを訪れた。
 到着後、6月15日に長岡市からいただいた第18回米百俵賞の副賞をミャンマーの医療のためにとヤデナ医師に渡した(写真2)。「米百俵(山本有三の戯曲)」英語版も渡した。後で、「本を読みました。とても意味が深く、先生がどんな賞をいただいたかわかりました」というメールが届いた。

 写真1 ヤデナ医師に副賞を手渡す        
 
翌日ネピドーに飛び、保健省で医科学局長と会談し、ネピドー総合病院を視察した。
再びヤンゴンへ戻り、東ヤンゴン総合病院、市内の保健所、新ヤンゴン総合病院を訪問。新ヤンゴン総合病院は30年前に日本が作った病院で、通称JICA病院という(写真2)。私は2000年に一度この病院を訪れたが、錆びついた医療機器を見て、悲しい思いをした。病院内の機材は旧態然。病理室では滑走式のミクロトームは摩耗し、がたついていた(写真3)。顕微鏡は壊れてまったく使えない。病理の先生はにこやかに説明してくれたが、目は何とかしてほしいと訴えていた(写真4)。こんな現状であるが、これからかなりの機器がJICAによって更新される予定である。

  
 写真2 新ヤンゴン総合病院(1984年築)

 写真3 がたがたのミクロトーム    


  写真4 病理医同士で
 
最終日、ヤンゴン婦人病院を訪れ、ヤンゴン第一医科大学で学長はじめ教授陣にプロジェクトについて説明し、ミッションは終了した。来年からの医療プロジェクトに期待したい。ミャンマーは今経済発展の時期を迎えようとしている。しかし、まだまだ私どもの支援が必要とされていることも実感した。今後も現地に必要な支援をしていく。
なお、9月21日- 26日には長谷川剛先生はじめ4人が訪緬し、ヤデナ医師の病院に気管支鏡と抗生物質を供与した。

ミャンマーの医療を支援する会 内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会

米百俵賞を受賞して

ミャンマーの医療を支援する会の近況です。

 『米百俵賞を受賞して』
             
 2014年6月15日(日)午後、長岡市で「米百俵デー市民の集い」が開催され、第18回米百俵賞の授賞式が挙行されました。困窮した長岡藩への見舞いとして贈られた米百俵を食べずに売却し、学校建設にあてた長岡藩重臣小林虎三郎の精神を称え、継承するために長岡市が米百俵財団を設立し、人材育成に貢献した人に米百俵賞を授与しています。今年の受賞者には私が選出されました。身に余る光栄と存じます。
 会場は「アオーレ長岡」のアリーナでした。会場には米百俵の説明や私の活動のパネルが展示されていました。関係者と市民数百人が出席しました。森市長の挨拶の後、選考委員会委員長からミャンマーでの医療支援、共同研究の中で人材育成を継続してきたことが私の受賞理由であるとの説明がありました。
 森市長から楯と副賞100万円を頂きました。活動の助成金は何度か頂いたことがありますが、個人の賞として頂いたのは初めてです。私の活動を評価していただいたことを感謝し、このお金はミャンマーの医療支援のため、ミャンマーのパートナーと相談してもっとも有効に使いたいと述べました。
 14年間の活動の経緯と成果を50枚ほどの写真や表を用いて説明しました。14年のうち、初めの10年は軍政に抑え込まれた半鎖国状態の中での活動であり、最近の4年は民主化へ動き出した激動のミャンマーでの活動です。ミャンマー初となるインフルエンザの共同研究も定着し、新潟に招いた若手研究者も10名を数えました。教え子の留学生を相手に細々と始まった活動でしたが、人脈が広がり、思いもかけない成果をあげることができました。来年からJICAプロジェクトとして新潟大学を含む国立6大学の医療支援活動が始まります。私もこれまでの経験を生かし、ミャンマーの医療がよりよくなるための努力をする決意を新たにしました。

森市長から記念の盾をいただく。

記念講演。

ミャンマーの医療を支援する会 内藤 眞

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ミャンマーの医療を支援する会2013年活動報告

ミャンマーの医療を支援する会2013年活動報告

 今年度は7月に筆者単身で、9月に6名で訪緬した。9月15日は22回目のミャンマー訪問。ヤンゴンにはミャンマーの民主化に伴い、外国人がどっと押し寄せて不動産バブル状態。ホテルの宿泊料金も軒並み3−4倍に高騰し、いつものホテルに泊まれない。
ヤデナ医師に抗生物質を供与した(写真1)。

ヤデナ医師は多剤耐性結核に用いている。これまで治療してきた若者の薬が、丁度なくなったとのこと。神様が間に合わせてくれたのだろう。

写真1 ヤデナ医師(左)に薬剤寄付  

    

写真2 顕微鏡を組み立てる

翌日、ヤンゴン小児病院にスライドグラスと免疫染色用のスライドグラスとペンを届け、中古の顕微鏡も持参して組み立てた(写真2)。あまりにひどい顕微鏡が検査室にあったので、持ってくると約束していた。


写真3 大臣(左)と謁見         


写真4 研究所で記念写真

9月18日朝ネピドー着。保健省で大臣に面会(写真3)。インフルエンザの共同研究成果を報告した。大臣は成果に対して賞賛と期待の言葉を述べた。
ネピドーから高速道路でマンダレー、さらに中国の昆明につながるルートを経由しピン・オー・ルウィンに着いた。標高1,100mのこの地はミャンマーの軽井沢である。医学研究所に到着。この研究所は230人のスタッフを有している。講堂には数十人のスタッフが集合し、歓迎式典が挙行された(写真4)。新任のミン所長はこれまでも大事なパートナーであり、この研究所の発展にわれわれも尽力したい(文責:内藤 眞)。

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