にいがたNGOネットワーク監事の伊藤充さんに、会報に寄稿していただきました。

「かつての日本のすばらしさに出会ってきてほしい」
伊藤 充
 
 昨年の秋,フィンランドにキャリア教育の視察に行った。キャリア教育とは,子どもに自分の将来を考えさせる教育である。

フィンランドの教育は,次の三つに支えられていた。
1キャリア意識、 2教員養成、 3国民性

1 キャリア意識
フィンランドは資格社会である。仕事をするには資格が必要である。日本のように国や地方自治体、あるいはユーキャンが資格を与えるのではない。資格を与えるのは学校である。生徒にとって、学校で学ぶことが将来に直結するのである。子どもの将来に学校が持つ意味は、強く大きい。
フィンランドに、高校受験はない。普通高校に行くか職業高校に行くか、どのレベルの高等学校に行くかは、中学校での成績と自分の将来の希望により決まる。生徒は自分の夢に向かって中学校で懸命に学習し、教師はそれを丁寧に評価する。そして、その結果が、生徒の進路になる。中学校の教師が生徒の将来に及ぼす力は、強く大きい。
フィンランドの中学校では、担任と保護者と中学生本人が相談して、自分の学習計画を立てる。生徒は、今自分が何が分かって何が分からないのか、一定期間でどこまで到達しようとするのかを明確にする。この計画があれば、生徒は日常の学習を全体の流れの中で位置づけることができ、メタ認知(自分が今どう考えているかを第三者の視点で自分が考える)できるのである。個々の教育(学習)計画の彼方に、自分のキャリア,自分の将来が見える。キャリアを見据える意識は、強く大きい。
しかしながら、フィンランドには、キャリア教育という概念はない。なぜか。それは、フィンランドの教育そのものが、すでにキャリア教育なのだからである。
 
2 教員養成
ヘルシンキ大学教育学部を視察した。算数科教育法を大学生・大学院生が真剣に受講している。講義内容は小学校算数の割り算の指導法。「18÷3=6」の問題を子どもはどのように考えとのように解くかをシミュレーションする講義である。スクリーンを見て驚いた。数式、解き方の説明文、図、表、線分図などとともに、子どもの指の絵が描かれたものに数字が振られたている。大学で、現場の学校の授業検討会レベルの具体的で丁寧な指導がなされていた。それだけではない。「子どもは何のために18÷3=6を学ばなければならないのか?それを学ぶと子どもにとってどんなすばらしいことがあるの?それを子どもにどのように教えるのか?」すなわち子どもの学ぶ意味まで講義内容になっているのである。フィンランドの大学は、教材の系統性分析、教育の意味分析、子どもの思考分析に基づいた指導方法を教えた上で、子どもがその教材を学ぶ将来的意味づけまで教授しているのである。  
このような大学が、果たして日本に存在するであろうか。これでは、フィンランドの新採用教師と日本の新採用教師とでは、プロとアマほどの差がつく。
しかし、視察団の全員が、「実際に見たフィンランドの教師たちより、自分の身の回りの新潟県の教師の方が授業力は上である」と感じた。この理由は何か。確かにフィンランドの大学の教員養成レベルは高い。しかし、フィンランドには日本と違い、学校現場で互いに授業を見合って研究するというシステムは存在しない。日本の教師は、大学を出た時には授業力は低くても、学校現場で先輩教師から指導され、同僚教師に学び、厳しい授業研究を重ねて授業力を高めるのである。学校現場で授業研究を積み,授業力を各段に高める日本の教師が、フィンランドの大学ほどの教員養成システムにより送り出されてくることになれば,世界最強の教師集団が出来あがると思うのである。
ヘルシンキ大学の算数科教育法の講義室の壁にドアがあった。そのドアの向こうには、小学生が算数を学ぶためのカラフルなおもちゃや、小学校で子どもが使用している教材教具がたくさん保管されていた。講義室の隣に、ワクワクする子どもの向けの楽しい教材が大量に準備された大学など、日本にはない。ヘルシンキ大学教育学部は、まさに小学校の教室と直結していたのである。
 
3 国民性
  フィンランドの地下鉄には、改札がない。切符を買っても誰に見せる必要もなく、通り抜ければよい。路面電車もまた同様である。しかし、改札などなくとも、不正をする人はいない。路面電車の中で地図を開いていたら、老紳士がゆっくりとした英語で「どこをお探しですか」と笑顔で聞いてきた。もしかしたら英語が苦手なアジア人かもしれないという可能性を考えた対応である。親切で規範意識の高さが、フィンランドの国民性ではないかと感じた。
そのような視点で、あらためてフィンランドの人々を見た。確かに、勤勉で誠実である。他のヨーロッパ人ほど社交的ではないものの、相手に正対してていねいに接しようと努力している姿が印象的であった。子どももまた極端に恥ずかしがりである場合が多い。それでいて、明るく屈託がない。
高い規範意識、勤勉、誠実、親切という国民性こそが、フィンランドの教育を根底で支えていると強く感じた。
 
4 共通するもの
キャリア意識、教員養成、国民性に共通するものは、何だろう。
答えは、自立である。
キャリア意識の本質は、自立しようとする意志である。フィンランドにおいて、学校での学習は、自分の将来の夢を実現する自立のための手段として、子どもに強く刻み込まれる。目的が明確な学習ほど、高い効果を生むものはない。自立は、子どもに夢を生み、同時に責任を生む。この二つが子どもの将来を形成するのである。
一方、スウェーデンやロシアの圧政に苦しめられたフィンランドにとって、自立は国家の矜持であり、教育はその有効な方法である。それを左右するのが大学の教員養成システムであれば、フィンランドの教員養成は、国家プロジェクトに匹敵するのである。
さらに、大学の教員養成課程を見れば、まさに授業力の高い自立する教師を国家が養成することを目指している。
また、フィンランドの国民性である高い規範意識、勤勉、誠実、親切は、人々がフィンランド国民として団結し、スウェーデンやロシアなどの列強に対抗して国の自立を維持するために欠くことのできないものである。
自立を共通点とするキャリア意識、教員養成、国民性の三つは、日本がかつてもっていたものばかりである。日本人の特長であると世界から称賛されていたものばかりである。
私はフィンランドに行って,かつての日本のすばらしさに出会ってきた。
多くの方々から海外に行って,かつの日本のすばらしさを体験してほしいと願っている。
これも、大切な国際理解である。

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