新潟アピの会 会報 第15号より、活動報告です。

”興の桜プロジェクト〜スリランカへ

みなさん、こんにちは。 新潟アピの会の佐々木と申します。 昨年も新潟アピの会はた
くさんの方に支えられ、様々な活動をして参りました。その中で、私は昨年に引き続き、東日
本大震災の被災地である宮城県亘理郡山元町での活動をご報告させていただきます。
まずは、「桜プロジェクト」です。

津波で多くを失った地域を桜色に染めようと始まったこの企画ですが、本当に多くの方に
ご協力頂きました。 昨年夏の田中光栄さんのチャリティライブに御来場くださった皆様、募
金箱を設置してくださった協力店舗の皆様、各地で募金をしてくださった皆様、本当にありが
とうございました。 皆様の思いがこもった義援金を昨年10月、新潟アピの会の倉田代表、
佐藤さんと共に山元町へ届けて参りました。



私たちが訪れたのは、宮城県亘理郡山元町沿岸部「普門寺」に拠点をかまえる「おてら災害
ボランティアセンター テラセン」です。
震災直後からおよそ半年間、普門寺がある地域は立入禁止区域に指定され、一般のボランティ
アが入ることはありませんでした。 私自身、初めてその地域に入ったのは震災から3 ヶ月
経った2011年6月。立入禁止が解除される前の事です。
新潟から山形、仙台、名取を経由し山元町へ向かいました。国道を超えるとそれまで通って
きた道とは比べ物にならない情景が広がっていたのを今でも忘れる事ができません。津波の
残骸があちらこちらに散らばり、残された家々は津波がやってきた直後の様子をそのまま物
語っていて、まるで世間に見放されたゴーストタウンのようでした。
そんな中、「この地域を見捨てる事は出来ない!」と立ち上がったのが「テラセン」なので
す。発足当初、疑心暗鬼だった住民の皆さんですが、全国から集まる志高いボランティアの様
子に次第に心を開き、「テラセン」は文字通り「駆け込み寺」となりました。
震災から一周忌の2012年3月11日、テラセンが拠点としている普門寺には多くの人
が集まりました。そんな中、私は住職さんに新潟翠江高校の生徒さんが集めてくれた義援金
を手渡しました。「このお金、何に使いましょうか?」との問いかけに・・・
「ひとつ夢があるんですけど…この地域を桜色に染めたいのです。」と住職さん。その場に
いた全員が賛同しました。今思えば、それが「桜プロジェクト」の始まりだったのです。
 
翌月、普門寺の檀家さん達の手によって桜が植えられました。その時、ある檀家さんが「実
は、ここ(普門寺)に来る途中、桜が咲いているのを見て、家内と話してたんだよ。せめて
お寺に桜でもあればね、てさ」と仰っていたそうです。
全てを失ってしまった地域に希望の色を灯すとすれば、いくつもの季節を超え、あるとき
綺麗な花を咲かせる桜なのかもしれません。何年かかるか分からない復興への道のり、でも
いつか桜が咲いた時、その桜たちは被災地で戦っている方々と困難を共にした同士となり、希
望を与えてくれるに違いありません。



話は戻りますが、10月に山元町を訪れた倉田代表が、そんな被災地の状況を目の当たりにし、素晴らしいジャーナリストとミュージシャンを送ってくれました。新潟を中心に司会、ラジオにと活躍されている小野沢裕子さんとハーモニカサンタの田中光栄さんです。


小野沢さんはご自身のラジオ番組や講演など、たくさんの場で山元町の現状を伝えてくださりながら、実際に山元町へ足を運び、仮設住宅での「うたごえ喫茶」を開催されました。普段あまり外に出る事がない仮設住宅のおばあちゃんの楽しそうな笑顔と歌声は今も心に残っています。

一方、田中さんは三周忌にあたる今年の3月11日、普門寺での演奏を快く引き受けてくださいました。

今まで何度も被災地を訪れている田中さんですが「3月11日に追悼の演奏をするという事は特別」と。被災地である山元町がみんなに忘れられないように、そしてもう二度と世間から見捨てられる事がないように…。普門寺での法要の後、駅舎が取り壊されてしまった山下駅で住民のみなさんが主体の竹灯篭の点火式が行われ、そこでも一曲。「見上げてごらん夜の星を」が流れる中、涙を流されていた方も少なくありません。
2年前のこの日、同じように寒空の下で人知れず天国へ旅立たれた方々のご冥福をお祈りして参りました。



さて、現在テラセンでは地元住民団体「震災復興土曜の会」と共に「緑の再生プロジェクト」にも力を入れています。私達ボランティアの殆どがかつての緑豊かな山元町の原風景を知りません。何もなくなってしまった山元町しか知りません。しかし、いつか山元町に緑が溢れ、春には桜が咲き乱れる風景が戻った時、それは山元町に住む人だけではなく、関わった全ての人に希望を与えてくれる。私は、一人でも多くの人にその風景をみてもらいたいと思っています。その風景とは、被災地で暮らす方々と遠くから山元町を応援している私達の思いがつまった風景だからです。
実は、冒頭の田中光栄さんのチャリティライブの後、実際に山元町へ足を運んで桜を見に行って来たという報告を何件かいただきました。
その度に私はとても嬉しくなるんです。
被災地を忘れない事! それが住民の皆さんの私たちへの願いだと感じているから。

現在、新潟アピの会が継続的に支援しているスリランカ国南部「メッタ・ハンバントータ孤児院」日本で津波被害を受けた山元町「テラセン」どちらもまだまだ助けを必要としています。
私達はこれからも二つの地域の情報を発信し「今できること」を形にしていきたいと思っております。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

佐々木美恵

情報掲載:
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