新潟アピの会の会報第15号から、活動報告です。

「初めてのスリランカ」

「スリランカ民主社会主義共和国」
通称“スリランカ”
私は今回、長い間スリランカの復興に携わってこられた倉田さんの“2年ぶり”の渡航に“アピの会”スタッフとして同行させていただきました
「初海外」がスリランカ!
甘かった!!
大変でした!!!

もう・・何が大変って、根本的に「“考え”が甘かった!!!!」
先ず「海外で生活することに対する考え方」
本で読もうが、インターネットで調べようが、やはり“その場”に立たなければ分からない..
 
空港に降り立った時のまとわりつく空気感と匂い..事故が起きないのが不思議なくらいの交通状況..
信号はどこにあるの?
車が何台も道幅いっぱいに走ってますけど、本当は何車線なの?

家の中でもそう..
どこまで蛇口をひねれば透明な水が出てくるの?
給湯器があるのに何でお湯が出ないの?
何でシャワーがそんなに高い所にあるの?
等々、数え上げればきりがない!
私の当り前は、スリランカにはありませんでした。
「ボランティアに対する考え方」にしてもそう..
ボランティア活動なんて高校の課外活動以来!「与えられた課題を、単位の為に、安全な場所で、決められた事を手伝う」そんなものとは大違い!!

センターを手伝っている“デイニッシュのカミラ”と“シンガポーリアンのフーシャン”、共に言っていたことは「子供たちが幸せならそれでいい、他に望むことは無い。」と..
二人とも、穏やかに“笑顔で”話してくれた..
比べることではないけれど..私はそんなこと出来ないし言えない..

「異国の地で、誰に頼まれたのでもなく、何も求めず、子供たちのために」
二人の姿にボランティアの本質「自発(自主)、無償(無給)、利他(社会、公共、公益)」を甘く見ていたことを痛感させられました。

今回“アピの会”として訪れたのは、未だ戦火の後を残す北東部ではなく、文化遺産の残る中南西部。 倉田さんと親交のある仏僧・ラッタナシリ大僧正が設立された[メッタソーシャルファンデーション]の“マータラ”と“ハンバントータ”のチャイルドセンターの子供たちに「日本の文化に触れる機会を作ってほしい」との話でした
スリランカは2004年12月のスマトラ島沖地震による大津波で死亡と行方不明者計4万5千人を出した。 チャイルドセンターの寄宿舎に住まう子供たちは、その津波で肉親を失った子供たちなのだと..


旅の始まりに私は倉田さんに言われました。
大僧正は「このチャイルドセンターの子供が“パスポート”を持つことは無いだろう。一生スリランカ、それもこの農村部から出ることは無いだろう」と、倉田さんは「だから私たちが行かなくちゃいけないのよ!」と..



この旅で出会ったチャイルドセンターの子供たちは、みな素直ないい子ばかりでした。
“マータラ”のチャイルドセンターに行ったとき..「初めて見る日本人」に戸惑っている様子がわかりました..

でも“戸惑い”は“好奇心”に勝てなかったようです..すぐに明るい笑顔を見せてくれました。
大きな瞳をキラキラさせて私たちに一生懸命話しかけてくる「日本はどんなところ?」「日本語を教えて!」「日本の歌を歌って!」そして最後にこう言います「ねえねえ、私の話を聞いて!」と..
子供たちは無邪気に抱きついてきます..
一度手を握るとなかなか離してはくれません..
一人の子が私の“両手”を取って話してきます..すぐに別の子が私の“腕”に手を絡ませてきます..
もう一方の“腕”にも別の子が..
また別の子が“背中”にくっ付いてきます..
また別の子が“両手”を取っていた子の片手を払って 私の“片手”を両手で握ってきます..
そんなこんなで「鈴生り状態」..私だけじゃなく倉田さんも八子さんも同じです..
いつも周りにいる大人たちとは違う存在の私たち..甘えたい年頃の子供たち..
数年前までは、当たり前のように“家族”と暮らしていたであろう子供たち..

今、その悲しみの深さを、その苦しみの大きさを推し量ることはできない..懸命に生きている姿に胸が熱くなりました..
自分の手で、目で、耳で直に触れ、感じることの大切さを改めて思い知らされた、考えさせられる旅でした

今回このような機会を与えてくださった倉田さんに感謝するとともに、拙い私を助けて下さった松山さん・八子さん、お世話になったラッタナシリ大僧正をはじめ、ジャヤランタファミリー、チャイルドセンターのデイニッシュのカミラ、シンガポーリアンのフーシャン、シンガポールからの個人ボランティアの皆さん、ラリータ夫妻、他多くの皆様に深く感謝いたします。
ありがとうございました。