2013年6・7月、スリランカの南部マータラにある児童保護施設Metta Youth Centerにお世話になっていました。今回、東南アジアからアフリカまで旅をしたのですが、スリランカはちょうどその中間点になります。その児童保護施設では身寄りのない子供や事情があって家族と一緒に暮らせない子供が約60人住んでいました。そこへ、新潟アピの会がボランティアとして、私を派遣してくれました。まず今回ご報告したいのは、そこでの暮らしがどんなものだったのか。そしてそこから見えた実状と、それに私が感じたこと。またスリランカ滞在中に感動したことをお伝えしたいと思います。

最初に、その児童保護施設(以後、施設とする)での生活をご紹介します。ここで生活しているのは、約60人の5〜20歳の女の子、2人のマザー、料理を作ってくれるお年寄り2人、管理人、事務の女の子1人と掃除婦さん1人でした。平日は子供達が朝6時頃に起きるので私もそこで一度目覚めます。子供達は朝のお祈りをして朝食を食べた後、学校へと向かいます。しかし一部の子供達は施設に残ったままでした。私はその施設に残った子供達と遊んだり、隣接している幼稚園でボランティアしたりして午前中を過ごしていました。この学校に行かない子供達の存在がとても不思議だったので、マザーに話を聞いてみると、彼女達の一部は日本で言う高校生たちで、授業が週四日ほどしかないので施設にずっといる日もあるそうです。また、一部の子供は高校に上がるテストに受からず、留年しているとの事です。そういった子供は大抵勉強が苦手でそもそも学校に通いたくないのだ、と言っていました。

午後二時頃、学校に行っていた子供達が帰って来たら、昼食を食べ、その後は洗濯物を洗ったり、順番にシャワーを浴びたりします。しかし60人も子供がいて、彼女達が洗濯物とシャワーで水を使えば、すぐにタンクに貯めてある水が無くなってしまい、しょっちゅう供給停止に陥っていました。テスト前の時期は3時から4時の間は勉強の時間で、皆食堂に集まって勉強していました。そうでない時は基本的に6時のお祈りの時間まで自由時間でした。夕飯は大体7時からでいつも数人の子供が当番制で食事の準備を手伝っていました。食事の後は自習時間で勉強したり、年下の子供は部屋で遊んだりしていました。

最初の一週間で感じたのは、子供達が何を求めているか分からない、ということでした。英語が理解出来る子供が1人しかおらず、他の子供とのコミュニケーションを取ろうと思っても、彼女達が何を言っているか全くわからなかったのです。そういった状況だったので、最初の一ヶ月は空き時間を見つけては、シンハラ語の勉強をしていました。シンハラ語教えて!と子供に声をかけると、皆集まってきて、それぞれ違う事を教えてくるので、1人2人捕まえてこっそり教えてもらったりしていました。あと夜はマザーに英語からシンハラ語に翻訳してもらったりしながら1ヶ月学んでいました、すると、2ヶ月目入った辺りから、子供達やマザーが何について話しているか何となく分かるようになってきました。ある日、マザーと英語で話していたら、スルっとシンハラ語が出てきて、マザーが大喜びしてしまい、その日一日中、皆に綾がシンハラ語を話始めたと拡散していました。それから日常会話はシンハラ語混じりで話すようになり、夜に中庭で月明かりの下でシンハラ語を使いながら、日本語を教えたりするようになりました。またその頃になると、子供達がそれぞれの事情をあたしに伝えてくるようになりました。その内容の多くが、自分の家族の事。もしくは子供同士の喧嘩の理由でした。彼女達は、母親が外国に出稼ぎに出ており、祖母がいない場合、父親と2人で住むことは出来ないので、こういった施設に預けられていたり、両親ともいるが収入が無くて育てられなかったり、虐待をされて保護されて来た子供達でした。そしてそういった子供たちは基本的に他人を信用出来ず、精神的にも未熟なので、しょっちゅう喧嘩をしてしまいます。なので、小さなことで喧嘩が起きる、泣く、助けて欲しいが甘える場所が無い、逃げる場所も無く、ストレス発散出来るような事も無い状況でした。家族に会いたいと泣いていた子供に、マザーは「ここには姉妹のような友達もたくさんいるじゃない」と言ったら、彼らは「自分の本当の家族では無く、しょうがなく一緒にいる人達だから」というような答えが返ってきました。2人のマザーは24時間体制で子供の面倒を見て、彼女達の事を可愛がっていましたが、どうしたって60人を2人で見るのは限界があるようでした。子供達もマザーの事は大好きですが、いつでも独り占め出来るわけではないのでやっぱり寂しがっていました。また、面倒見の良い年長者の女の子が下の子供のお姉ちゃん役をやっていましたが、そのまだ17、18歳のお姉ちゃんの話を聞いてあげて、将来を案じて助言をくれたりするような存在はいませんでした。時々教育委員会のような人たちが、子供達の話を聞きに来ていましたが、普段一緒にいない彼らに子供達が本音を話す事はとても難しいことのように感じました。そこで私がいる間は少しでもその子達の力になろうと思い、一緒に暮らしていました。しかしたった2ヶ月では彼女達の言っている事のほんの一部しか理解出来なかったですし、無力感に襲われることも多々ありました。


そんな中で子供達が一番喜んでいたのが写真。デジカメで写真を取ると、ほとんどの子供がその写真を頂戴とおねだりしてきました。彼女たちは個人の写真を欲しがり、皆で撮ろうとすると、写真に入ってくるな、としばしば喧嘩になることもありました。やはりそこでも「自分だけ」のものを欲しがっていたように感じました。その施設を支援しているお坊さんが、写真のプリントアウト機器を持っていたので、そこで写真をプリントアウトして子供達にあげていたのですが、途中でふと違和感があったので考えてみると、子供達が写真を受け取った後、Thank youを言わずに去って行っていました。そこに注意をしながら見ていると、感謝の言葉を子供達が使う事はあまりなく、シンガポールから来た客人に対しても、個々にお礼を言うということが全くと言っていいほど出来ていませんでした。家族が守ってくれない立場で、今後も他人の力を借りながら、生きていかなければ行けない子供達が、感謝の言葉を口に出さないのは問題だと思い、それをマザーに相談しました。マザーも同じように思っていたようで、その後は子供たちに感謝の言葉を伝えるように、と結構口酸っぱく言っていました。そのかいあってかしばらくすると、いろんな場面で子供たちのThanksが聞けるようになりました。この習慣が将来彼らの人生にプラスに働けば、と願います。
このようにいろんな問題が山積みの子供達ですが、笑顔がとっても可愛くって私のことをいつもお姉ちゃんと呼んでくれて仲良くしてくれて、とても良い子達でした。離れたって、私が彼らと過ごした時間は消えず、彼女達の記憶に少しでも残ればいいなと思います。この施設を出る時は二ヶ月間の日々が頭に流れてマータラから首都にたどり着くまでの間は涙が止まりませんでした。

さて、次はスリランカ滞在中に楽しかった出来事を三つ紹介しようと思います。
まずは一つ目、ペラヘラ祭について。これはスリランカ各地で行われるパレードのようなものです。日本で言うと、夏祭りのようなものでしょうか。私が見たペラヘラはティッサマハラガマという場所で行われたもので、国内でも三本の指に入るような規模のペラヘラでした。一番はキャンディで行われるものだそうです。屋台がたくさん並び、皆がそのパレードを見ようと場所取りをしていました。そのお祭りのためにシンガポールの仏教徒の支援団体が来ており、彼らがVIP扱いだったので、幸運なことに、私もそのVIP席でそのパレードを見ることが出来ました。パレードはまずファイヤーショーから始まり、鞭の芸、色とりどりの衣装を着て、様々なダンス、楽器の演奏、そして象による行進です。このペラヘラでは位の高い象の背中に、仏歯を乗せて行進するのが目的だそうです。仏歯を乗せた象の周りを囲むように高位僧達も行進していました。目の前で行われる圧倒的なパフォーマンス、力強い太鼓の音に、華麗なダンサー達、そして象の行進は、スリランカという国、文化がどれだけ素晴らしいものか表すには充分過ぎました。いつか必ずキャンディで行われる国内一のペラヘラを見に行きたいです。



次に感動したことの二つ目は、施設で停電が起きた時のことです。断水や停電などはしょっちゅうありましたが、この時は色々な出来事が重なり、忘れられない一晩となりました。何がそんなにも感動したかというと、明かりのない夜に、目の前一面にふわりと漂う蛍の光と、頭上に輝く星たちでした。その日は断水がいつもより長く、子供達とタンクの元栓を確認しに行ったら、そこで停電が起きました。目が慣れて、しばらくすると目の前の空き地にふわふわとたくさんの蛍が飛んでいたのです。日本で滅多に見られない蛍の大群に感動して、蛍が上空に飛んでいくのを追っていたら、たくさんの星が夜空に輝いていました。この日は快晴でしかも新月だったので星がとっても明るかったのです。蛍と星空のコラボは幻想的で忘れられない一晩になりました。



三つ目はマザーの実家にお泊りした時の経験です。バスを乗り継いで4時間、南部の田舎にたどり着くとバナナ畑が広がり、農業している地元の人達がいました。そこではマザーのお兄さんとその奥さんとその子供3人が出迎えてくれました。子供は私と同い年の男女の双子と、3つほど下の女の子でした。子供達が私を連れて近所を案内してくれたり、一緒にご飯の準備をしたりして過ごしていました。ココナッツの殻が捨ててあるところは貝塚のようになったり、近所で作っていたヨーグルトのような食べ物の制作過程を見たりと、見るもの全てが目新しいものばかりでした。夜は家族皆で集まっておしゃべりをしていたのですが、話の中でも驚いたのが、時期になると野生の象がその村にやってくるという話でした。とても危ないので、近くに目撃情報があった夜は一晩中火を炊いて、象が近寄って来ないようにするそうです。双子の話では野生の象はとても怖いとの事でした。

帰りはカタラガマというシンハラ、タミルの両民族が聖地としている場所に双子の女の子の案内で行ってきました。彼女はコロンボの大学に通っており、英語が上手で、自国の歴史や文化についてもとても詳しかったので、色々な事を教えてくれました。同じ大学生として、自分は日本の事を全然知らないのだな、と恥ずかしくなりました。大学まで教育を受けているのであれば世界共通語で会話が出来る、自国の事を説明出来る、というのは最低限の教養であるべきだと感じました。

国際的な場に出る人間になるというのはこの最低限の教養に、専門的な知識を持つ事が必要だと今回のスリランカで身をもって実感しました。ボランティアとして現地に入っていても、自分はこういった分野の知識があり、こういった事で手助け出来るという自覚が無ければ、結局現地に行っても何をしていいか分からず、無力感に襲われて、右も左も分からない場所で、現地の人のお世話になるしかありません。言い方を変えれば、彼らのお荷物です。ボランティアを必要としている場所でお荷物になるというのは、どれだけ有り得ないことか、言うまでもありません。しかし、このレベルに行くまで海外でボランティアをするな、という訳ではなく、未熟なりに現地で学び、吸収できることも多くあると思います。私が今回スリランカで得た経験は今後の将来に強い影響を与えるはずです。アピ会が提供してくださった場所は私のような人間でも受け入れてくれる場所であり、そこで相互に成長出来るような環境を作ろうとしていました。本当に倉田さん、並びにアピ会の方々、マータラの皆様には感謝しております。

最後に、異国で生活するということは、他を知り自己を知る、ということ。自分の存在意味や将来のビジョンが曖昧な若者たちにもっともっと外に出て欲しいです。そこで国際協力に携わりたいと思う人間が増えるのは素晴らしいことです。少しでも興味のある若者が異文化に触れて海外での生活を提供するような国際団体が今後もさらに活性化すること、そして自分も、そのような団体に積極的に協力していきたいと思います。


新潟県立大学三年 堀内綾

掲載:
にいがたNGOネットワーク