【にいがたNGOネットワーク会報vol.11に理事長より寄稿していただきました】

今こそガンジー
ネルソン・マンデラさんがなくなり世界中の人が悲しみました。95歳でした。南アフリカ共和国でアパルトヘイトと闘い廃止したことで知られています。アパルトヘイトは分離を意味し、1950年に異人種間での結婚の禁止、人種別居住区の指定、黒人の身分証携帯の義務付け、人種別教育など、白人、カラード、インド人、黒人の4人種を社会のすべてにおいて分断する政策を実行したのである。マンデラさんがこの闘争において最も尊敬した人がマハトマ・ガンジーさんです。ガンジーさんはインド独立の父として慕われていますが、イギリス留学から帰国後23歳(1893年)から45歳(1915年)までの22年間南アフリカで、人種的偏見と闘い南アフリカ在住のインド人の尊厳を守った人です。

当時は南アフリカもインドと同じようにイギリスの植民地であり、金 、ダイヤモンドの生産地として経済活動は活況を呈していた。ヨーロッパ各国からの移民も多かったが、インドからも印僑として南アフリカへ働きにでる人は多かった。しかしインド人は嫌われており徹底的に迫害されていた。居住区が制限されており、また商売できる権利も厳しく制限されていた。なぜ嫌われていたか。インド人は稼いでも金を使わない、汚いと言われていたが、肌の色が基本にあることは間違いない。
南アフリカで手広く事業を行っていたアブダラー(イスラム商人、インド人)から請われて南アフリカに行くが、イギリスの法廷弁護士という資格を持つ新進気鋭のガンジーも、インド人というだけで徹底的な差別、侮蔑に苦しめられた。何度も暴行を受けたが九死に一生を得る。政府が心配して訴追するかと尋ねたが、ガンジーは自分の考えがアフリカーンに理解されないからだと言って訴追することはしなかった。

インド人の公民権排除という動きが出たので南アフリカにとどまることとし爾来20年余、インドコミュニティのリーダーとしてインド人の人権のための戦いを続けたのである。

ガンジーの闘争は徹底的な嘆願戦略をとりイギリスに出かけロビー活動をした。そしてインディアンオピニオンという情報誌を4か国語で編集し啓発に努めた。運動の核になる同志を育てるため、トルストイ農園を建設して共同社会を作った。行動の規範はサチャグラハ(真理の力)といい、具体的な闘争においては互いに相手に敬意を払い、「真理」を双方に求めさせることによって紛争を調停する方法である。これが武器を使わない非暴力闘争、政府の指示に従わない不服従運動の基本理念であり、民衆を惹きつけ生涯続く改革闘争の武器となるのである。

アフリカでの最終的な闘争はニューカースル鉱山(インド人労働者が多く、ストライキを仕掛けていた)からヨハネスバーグまでの291kmを5〜6千人が大行進(デモンストレーション)したのである。ガンジーも逮捕された。南ア政府の仕返しも過酷なものがあったが、この運動は鉱山だけにとどまらなく砂糖農園、鉄道、ホテル、レストランが操業停止となり6万人のインド人労働者がいなくなった。結果的にインド人救済法が南アフリカ議会で通過したのである。ガンジーはマハトマ(聖人)と呼ばれるようになり、南ア政府のゆがんだ人種差別政策を是正してくれたことに対しガンジーはイギリス政府から勲章を受けた。
1914年インドに帰国しインドの社会改革、インドの独立に生涯をかけるのである。ガンジーの生涯はガンジーの孫のラジモーハン・ガンジーが書いた「モハンダス」に詳しいがその翻訳を抄録したのが「今こそガンジー」(拙書)である。現下の日本を取り巻くきな臭い国際情勢、経済至上主義を考えるとき、ガンジーに学ぶべきものが多いと思う。

    本間栄三郎

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