【新潟アピの会】より会報vol.13に原稿をお寄せいただきました。
 
2014年9月22日から同29日までの日程で堀内綾さんとスリランカに滞在した。飛行機から見た初めてのスリランカは既に夜だった。日本の夜景のように整列されているわけではなく光は散在していて、明滅しているように見えた。不思議な感覚を持ったまま着陸を待っていた。
私の旅の最大の目的は「自分を何かの役に立てる」ことだった。私は高校時代から大学2年の半ばまで同居する祖父の介護や家族のサポートをしてきた。自分が役に立っている、自分がいる意味を介護やサポートに見出していたが、その必要がなくなったとき、つまり役に立てる場面がなくなった時、自分の存在する意味があやふやになっていることに気がついた。そんな時に倉田さんから、「スリランカで手伝いをしてくれないか」と声をかけられ、「行きます」と返事をしたのである。
 
今回の旅ではマータラの孤児院とハンバントータの孤児院を訪問し、日本の音楽と踊りを紹介して一緒に体験することを企画した。用意した曲はAKB48の恋するフォーチュンクッキーと、新潟甚句である。新潟甚句はCDに合わせて私が歌い、堀内さんが踊りを教えることになった。歌と踊りを選んだのは、言葉がなくても通じるものがあると思ったこともあるし、私が趣味で民謡を習っていたこともある。思いがけないところで自分の身につけたものを活かせる場を得たのだ。スリランカのものとは違う、珍しい日本の歌と踊りに触れて、どちらの孤児院でも子ども達ははしゃいでいる様子だった。中でも印象的だったのは、ハンバントータの孤児院で、歌も踊りもやり終えて片付けをしようとした時のことだ。薄暗い室内は夕日が差し込んでいた。どの子が言い始めたのかわからないけれど、もう一度日本のトラディショナルな歌を歌ってほしいと言う。私は子どもたちに囲まれて新潟甚句を唄い、子どもたちがお礼にと、スリランカの歌を歌ってくれた。派手な楽器も踊りもないし、歌詞の意味もわかっていないけれど、歌いあえたことが無性に嬉しかった。

彼らの普段の様子を私は見たことがないが、堀内さんはマータラの孤児院に滞在したことがあるという。することがほとんどなく、日常に変化がないらしい。だからこそ私や堀内さんのような普段いない人、見かけない容姿をもつ存在が現れたこと、聞いたことのない音楽を持ってきて、見たことのない踊りを一緒に踊るというのは、とてつもない刺激になったのではないだろうか。変化のない日々を根本的なところから解決する方法ではないが、踊りや音楽は私たちがいなくてもできる。多少継続性のある刺激になることができたのではないかと思う。
 
スリランカを離陸する時も夜だった。来た時と同様に点在する光は見えたり見えなかったりしていた。しかし今は、まばらに見え隠れする光は木々に埋もれるように立つ家々からわずかに漏れ出ている光であり、その中にも規則的に光が配置されていて、そういうところは綺麗に整備された道路だろうと予想できた。初めてスリランカを訪ねて得られたのは、自分を何かの役に立てるという経験だけではない。ただの観光ではきっと得られなかった、その地に生きる人たちとの交流とその温かさだと感じている。
渡邊茉莉

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