またひとつ地震大国が名乗りを上げた。おまけにヒマラヤ山脈も道連れにして。あの日、テレビで大きく映し出されたのは私の知っているカトマンズではなく、崩れ落ちたNEPALの首都。ああ・・いつか日本が地震で沈没したらヒマラヤ山麓のムスタンに逃れようと決めていたのに・・・・。<NEPALの土に還るは煉瓦なりあかあかと目に崩壊さらす>旧ネパール王国の首都は赤いレンガ造りの建築物で象られた古都。夕暮れのトリブバン国際空港に飛行機が緩やかに着陸態勢に入るときなど、まるで中世のおもちゃ箱に足を踏み入れるような錯覚を覚え時空を遊ぶ自分に出会えた。・・・しかし、唐突に崩れゆきにしはカトマンズであった。およそ10年前、歌壇の馬場あき子師も当時ムスタン開発に余生を捧げる近藤氏に感銘を受け、その門下の歌人23名を同道し、ムスタン農場にお出でになったことがあった。私がご案内役となり、復路にカトマンズに立ち寄り王宮広場の煉瓦の階段におひな様のように全員で記念写真を撮った。が、その煉瓦も粉々に崩れ去ってしまった。されど今は、ネパールが原発のなき国であることが唯一の幸いである。
 ナマステ!といつも両手を合わせてはにこやかに明るく挨拶を交してくれる国民性。先祖から営々と祈りの時間を大切に護っている人々でもある。子供の日、N−netの理事会の帰り道のこと、新潟駅前に募金箱を抱えて立つネパール人の姿があった。支援されることに慣れきった国民性も備わった国に、今後はどのような支援のありかたが必要なのか。今も私の問いは続いている。





**** 友情の証としたりネパールに福沢諭吉二十枚送らむ

原千賀子

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