新潟県で国際交流,国際協力に尽力された伊藤文吉様が,2016年10月25日,89歳で亡くなられた。農村文化を国内外に発信し続け,その情熱は最後まで衰えることはなかった。私が親しくお話しできるようになったのは,30年ほどまえ,安塚町(町長は矢野学様,現在の上越市安塚区)で開催された雪シンポジウムがきっかけだった。パネルディスカッション後の意見交換会で,過疎・高齢化が著しい豪雪地帯での農村文化の継承の大切さについて熱く語っておられた。当時の安塚町はフィンランドとの住民同士の交流など,地方創生のさきがけとなった所である。その直後,新潟日報の文化欄(1973年10月31日)に執筆させていただいた“北方領土問題に思う”の私見をおおくりしたところ,和紙のハガキで励ましの礼状をいただいた。
 2007年6月11日,新潟市の大栄寺で開催された,新潟ユネスコ協会(伊藤文吉会長)の総会で,“災害調査を通して文化を考える”の演題で講演の機会をいただいた。アフリカや欧米での約4年の滞在経験から,住民はそれぞれの土地ではぐくまれた固有の文化に誇りを持っていることを述べるとともに,将来を見据えて,若者には社会のグローバル化に対応できる力を涵養する必要性を説いた。
 (公益社団法人)にいがた緑の百年物語緑化推進委員会(伊藤文吉理事長)の理事を4年間(2007年〜2010年)務めさせていただいた。会議を終えて,希望者だけの昼食会では,いろいろのことを教えていただいた。太平洋戦争末期,10万人の死傷者をだした,1945年の東京大空襲の時は学生で隅田川に浮かぶ死体の引き上げ作業にあたり,この悲惨な,忘れてはいけない大事なことを伝えるのは大人の義務であること。ライト中尉の偶然の出会いから北方文化博物館(詳細については,ホームページを参照)が誕生したこと。その因縁で,10年ほど前,第七艦隊司令長官に招待されたこと。福沢諭吉の著書<学問のすすめ>は,自分の道を自分で切りひらくために,再読を強く薦められた。.........思い出はつきない。 
 最後にお会いしたのは,亡くなる10日前,10月16日,”友の会の夕べ”で,車いすに乗っての,ご挨拶だった。私は,外国からの友人がくると,誇りを持って新潟の古き良き文化を感じさせる北方文化博物館に,家内とご案内することにしている。人材以外これといった資源を持たない日本が現在の繁栄を維持するためには効果的に世界と連携していく必要がある。若い人には,世界に出て,何がいま人類の課題なのか肌で感じてほしいと思います。

 

       青山清道(Nネット理事,元新潟大学教授)

 

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